ふら~り人生

~主に私が好きな人形町~

べったら市は芸能?

昨日今日と人形町のお隣で開催されていたべったら市。

べったら漬けを売るお店が軒を連ね、名前通りの賑わいを見せています。
べったらを売るお店以外にも多くの露店があり、子供ならずも楽しめるお祭りです。


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子供の時はもっと大きな範囲で開催されていたいましたが、暴対法等の成立によって的屋の数がグッと減りました。その対策として地域が協力して幾つかのお店を出して、盛り上げました。

小春軒の串揚げ、集のハンバーグなどがそのいい例でしょう😊結構並びますし、売り切れ御免なんですよ👍


そんなべったら市でが開催エリアの中には2つの神社があります。

椙森神社宝田恵比寿神社です。

この2つは境内の大小はありますが、芸能に関係があるのでしょうか?



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小伝馬町寄りに位置する宝田恵比寿神社は境内の提灯を歌舞伎役者が奉納しています。小さな神社で、鳥居から数歩で宮に着いてしまうほどですが、名のある人が多く提灯に見受けられました。



又、もうひとつの神社、椙森神社はべったら市の夜7時頃から境内にある能舞台で神楽やお囃子等の芸事が行われています。


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昨日は写真の通り、仮面を被った役者が軽快に躍りを踊っているのと、その後は南京たま簾を見ることができました。

他にも行われたのかもしれませんが、のみたい盛りの私は早々にその場を後にしました😅




人形町自体、なぜ人形町という名前なのでしょう?



江戸時代、人形町には歌舞伎の座元が2つありました。中村座市村座です。甘酒横丁の途中に細い緑道が走っています。

この緑道は東野圭吾の小説『麒麟の翼』に登場します。

この緑道の入り口に弁慶像が鎮座していますが、この弁慶像がその江戸時代の歌舞伎の名残を表しています。


又、歌舞伎の座元以外にも浄瑠璃を上演する小屋が多くあり、その浄瑠璃で使用する人形のメンテナンス等をするお店が多くあったことで、人形町と名付けられました。

江戸時代には「人形の町に行ってくらぁ」なんて言い合って、このまちに足を運んだと言われて、江戸の町人の間から生まれた名前なのです😃


これと椙森神社宝田恵比寿神社が関係あるのかは私は現時点ではわかりませんが、芸事が身近にあった地域ということははっきり言えますね😆


こんなことを書きながら、50円の豚バラ串揚げを肴に沈没する日曜でした😅